あるばとろす亭

乙女ゲームとテニミュと2.5次元舞台など。

柚木梓馬について

柚木梓馬(以下、柚木先輩)。コルダを知らなくても柚木先輩のことは「髪が長くて、CVだいさくで、腹黒い」くらいは知ってる人が多いのではないだろうか。(当社比)

私が持つ柚木先輩へのイメージは「家庭の事情で音楽を続けられない人」である。


柚木先輩の環境をすこし見てみよう。

華道の家元の家系に生まれ、たぶん金銭的な苦労はなかった(2ffまで)。ただ、お金(と格式)があるからこそ、色んな習い事を自由意思に沿わなくても、たくさんしていたと思う。華道、茶道、書道、テーブルマナーなどの礼儀作法も含めて。

さらに、音楽。しかしお兄ちゃんより上手くなってはいけないということでピアノを取り上げられ、代わりに始めたフルートも高校卒業と共に辞める予定。

びっくりだね。でもそれは「家庭の事情」だから、いかに「柚木先輩の音楽の技術やセンス、表現は卓越している」という評価があろうとも関係がない。

逆に、「彼って音楽の技術やセンスは突出してないけど素敵な人柄なの」が音楽の評価を覆さないように。


ちょっと話を変える。

「家庭の事情で音楽を続けられない」、の「音楽」には「習い事、趣味」を入れてもいい。多くの場合、それは金銭的な問題が多いと思う。そうでなかったら、「自分の意思ではない、家族の都合」。親の転勤でいまの先生についていられない、他に親が望む習い事などがある、など。

ひっくるめて丸く言うと、「家庭の事情」だと表現される。

かく言う私もその一人だ。高校生の身空では、基本的には親にお願いしないと続けられない美術(芸術)系で、小学生から高校生まで続けた習い事で、高校の部活で全国大会的なところに選出されたこともある。

でもいまは続けられていない。

職業にしても趣味にしても、続けるには、画材費(基本的に一回こっきり使い切りで、ひとつの作品を仕上げるのに8万円ちかく使ったこともある)、塾(先生につくことも含む)の費用、作品を制作する場所が必要になる。これさえあれば、才能やセンスがあることよりよっぽど続けられる。と思う。

つまり、芸術を続けるには、環境を整えるのが肝要だと思う。


話を柚木先輩に戻す。

柚木先輩をとりまく環境の中で、一番の障害になったのは、「おばあさまの意向」、あるいは「自分が持つとは思わなかった執着」だと考えられる。

で、そこで彼が乗り越える問題としては、「折り合いをつける」だと思う。


なぜ、柚木先輩はおばあさまの言うことを聞いてしまうのか?

私の答えとしては「家族が大切だから」。私も家族が大切だから、なんやかや習い事をやめてしまった。という気持ちに起因している。柚木先輩がどう考えているかではありません悪しからず。

家族を大切にしながら、音楽を続けることもまあできる。ただしプロではなくて、大切な趣味として。(この辺は一条ゆかり「プライド」がしみるとおもう。)

または加地くんのいうように、家を出て音楽を続ける。でもこれは結構困難だと思う。前述の通り、音楽には環境を整えるのが肝要だから。

さらに、そのためには(強く言うと)家族を捨てる必要がある。

音楽を続けること、ということに重きを置くと、ひとに夢を託すという方法もある(2fアンコールはここかな)。

これを乗り越えられたら、彼は真の意味で音楽の祝福を受けるとおもうんだ。遠藤周作読者としては。

彼が音楽に遠くなれば遠くなるほど、音楽の祝福は近づいてくる。かなやんや加地くんのように自分の望む形でなくても、形が変わっても、きっと。


急逝したコビー・ブライアントさんのことばに、こんなものがある。

「夢は目的地じゃない。旅路なんだ」

柚木先輩の夢はきっと叶う。