あるばとろす亭

乙女ゲームとテニミュと2.5次元舞台など。

遙か二十年祭のあと、遙かの持つ力

どうも鳥です。

遙か二十年祭全通しました。

前回のエントリーの内容は、実はこのための遙か2プレイでした。気合い入ってるう~。普段ならある用意(洋服、持ち物、1ヶ月前からのコンディション調整、体力の維持、キャストへの手紙やプレゼント用意)がなかったので、余裕があったのです。

遙か二十年祭、いろいろありました。

ぴあで購入したら、まあ切れる切れる。ラグが出まくる。実際の進行から遅れまくってツイッター投票ができない。などなど。初陣も昼夜参戦しましたが、そちらはここまでじゃなかったんだけどなあーとぼやいてました。まあ、我が家のネット環境があまりよくないのは認めるにせよ、e+の方がよかったです。

そしてツイッター。トレンド二位は恐れ入りました。移植を含めた新作ゲームが出なくても、出演者に石田さんがいらした+内容がセンセーショナルな「平家の神子」で、影響力いまだ衰えず、威信を示しました。

今回のイベントで、主にツイッターですが、シナリオや設定が表記揺れでは済まない洗礼を受けた方もちらほら拝見しました。私はこれに耐えてグッズとイベントのチケットをあほみたいに買った5年だったのだよ。えらくない? まじえらい。私はそうおもう。

だって缶バッジだけで二万使ったりとかさ。(ちなみにコルダの15th Finalはイベントのチケット合わせて特別給付金くらい使った)(関東住みだけどそれはネオロマンスのイベントのためで、九州あたりから神奈川への遠征費くらいを家賃として毎月払ってるんだぜ、たまに思い出してくれよな)

えらいと思うことは個人差があるとして、遙か存続のために、これも私にとっては、だけど少ないとは思わない金額を使い続けた5年だったのだ。

でも、好きなことしてるのにえらいって感じるのは同時に変だなあとも思う。えらいというのは、トイレの神様的なえらさね。

トイレの神様は、高名な神様が兼ねてるという説。なぜならトイレの神様は神様間でもいやがられ、「いいよ、じゃあ私がやるね」と高名な神様が兼ねたからまた名を上げる、みたいな話)

途中から、グッズが欲しくて買うのではなく、グッズを買わなければいけない…遙かが死んでしまう…という危機感から買ってた節が確かにあった。とりあえず全種買い。会場で紙袋二個持ってたりもした。意味がわかった人は私と握手してください。(ヒント:ネオロマンスのイベントの紙袋は、でかいものかやたらとグッズを買ったときにだけもらえます)

表記揺れでは済まないイベントドラマの設定、メッセージもねー、ひどいよね。笑っちゃう。笑うしかないくらいひどい。

でも存続させてしまった。ちょっと悪かったなとおもってた。

そしてキャストの一人が「二十年なったら遙かは終わり! キリいいし!」と言う冗談(きっと照れ隠し)を真剣に受け止めて遙かは終わると思ってたんですよ私。

それがいま、ツイッター上にあふれんばかりの遙かの話題、二次創作。

キャラソン聞いてる、とかライヴDVD見てるとか、イベントのドラマやメッセージやキャラソンランキングのここがよかった悪かった、絵を描いた演奏した話を書いたなどなど。

びっくりしたね。荒野を歩いていたら突然花園が眼前に広がった気分(比喩表現)。

遙か的に言うと、陽の気と陰の気が溢れかえっている。そう見える。

これは、前回のエントリーで抱いた疑問「遙か2をやった。深苑くんの理不尽を浴びると愚痴っぽくなる」だなと思った。

で、遙か2をずっとやってるので遙か2の青龍で考えた。

源頼忠は、対である平勝真と作中、ひたすらぶつかりあう。

頼忠は自己主張をしない人間、勝真は自己主張をする人間(嫌なものは嫌って言わない人と言う人)。

でも、勝真と話していると、頼忠はちゃんと自己主張する。「あいつ信用できない」とか「一族を侮辱するな」とか。勝真のように。

勝真は勝真で、自己主張しまくってもはや悪態までついていたのに、だんだん態度を改め、簡単に言うと激しい自己主張をやめる。頼忠のように。

お互いにいいほうに変わる(本人たちは変わろうとしているだけだとしても)。そしたら奥義が使えるようになる。(ゲームの仕様で、仲良くしてないと使えないけど)

つまり、相容れないと思っていた人間がそれぞれに折り合いをつけて、力をあわせると瀕死の京を救うほどの力を出せる。

自分が変わったことで、「これはとてもできない」が「やってみよう」と思えるようになり、本来持っているけど隠れていた自分が顔を出す。しかも、わかりあえないと思っていた人と手を組むことで、もっと大きな力でできて、大きな効果を生む。

だから、遙かのゲームをやったり、イベントでドラマなどを見ると、本来のなりたい自分が顔を出す、抑圧から解放される。解消と言ってもいいと思う。

カタルシスじゃなかった。

深苑くんの理不尽が必要または必要悪かはわからないけど、頼忠と勝真の不仲からの修復が大きなダイナミズムを生むんだなーと感心した。

(大学で習ったことぜんぶ出てきた。遙かすごいな!)

結論。

だから遙かって、いい方向に進めばめちゃくちゃすごい(トレンド二位とか、二次創作運動(二次創作がいいか悪いかは置いておいて、創作するということに重きを置いています))ことが起こり、そうでないと学級会ばっか起こる。苦笑

それぞれ陽の気、陰の気が満ちるのでしょう。

でもその学級会だって、わかりあえたり折り合いをつけられたら、世界だって救える力が生まれる。きっと。

まあ「終わらせておけばよかったものを!」と思う人もいると思う。どうだったんだろうね。でも、こんな気持ちにさせる作品を残せたことにも意味があるんじゃないかなと思う。

抑圧から解放されるのは気持ちいいじゃん。

よくもわるくも、それが遙かのもつ力なのだなと思った。

私は遙かに出逢えてよかった。どうすればいいかわからない時も多々あるけど、遙かを信じたいと思う。愛したいと思う。

この一文、めっちゃ遙かっぽいな。(武井っぽいとも思う。)

ここまで読んでくださりありがとうございました。